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記事一覧(7)

親しき仲にもアドラー心理学(11月定例講座)

11月の定例講座は「親しき仲にもアドラー心理学」というテーマでした。パセージではアドラー心理学を使った育児を考えますが、今回はその他の人間関係ー夫婦、親類、職場、友人ーについて考えました。私は、実家で一人暮らしの父と話すとちょっといらっとしてしまうのです。離れて暮らす私にできることは電話で父の愚痴を聞いたり、ネットスーパーで買い物の手伝いをすることだと考えていました。正直、父の愚痴を楽しい気持ちで聞くのは難しく、陰性感情を持つ自分を情けなく思っていました。今回の講座でたどり着いた解決策は、愚痴を言う父に注目するのではなくて、他のことで「仲間だよ」と伝えること。講師の岡山さん、「お父さんには「親」をしてもらってくださいね。」私は父に対して、「私達は心配なく暮らしているから、お父さんは自分のことを考えればいい。助けが必要ならば、私にできることはするので言ってね。」という態度でした。この歳になれば物質的にも精神的にも自立するのは当たり前だし、そうあるべきだ、と思っていました。それは一人で暮らす老父にはとても寂しいことだったと気づきました。岡山さんの言うように、私達の日常を共有して、相談にのってもらって、「父親」として尊敬して付き合うことで、私が父がいてくれてありがたいと思っていることが、父にわかってもらえるでしょう。定例講座の後、父には私から積極的に電話しています。父の話を聞くばかりではなく、こちらも毎日の小さなことを積極的に話したり、ほうれん草の種まきの方法等を教えてもらったりしています。相変わらず愚痴も聞いていますが、不思議と以前ほど陰性感情が起こりません。父には長生きしてほしいと思います。講座に参加したひとりひとりが各々の親しき仲の問題解決のヒントを持ち帰ったのでは、と思います。皆さん今頃実践中なのかもしれません。次回フォローアップや定例講座で、皆さんとその後の話をするのが楽しみです。(byなべ)

アドラー心理学の誤用(10月の定例講座)

昨年5月からパセージを学んで、この子育ての方法は間違いない、これでやっていこう、と思っているのです。でも、実際の場面では負の感情(不安、怒り、後悔)を持ったまま子どもと話し合おうとして失敗したり、勇気づけようとして発した言葉が勇気くじきになっていたりと、なかなか思うようにはいきません。今回はアドラー心理学の誤用について、講師の岡山さん含め6人で考えました。課題の分離だけで、援助するという姿勢を忘れてしまう....アドラー心理学の5つの基本前提の内、1つだけで物事に対処する....アドラー心理学の知識で他人の行動を批評する....私がよくやっていたのは、「アドラー心理学ってすてきなのよ!」と人に話して反論されて議論で負けるパターン。知識の浅さと実践がいまひとつな所、論理的とは言い難いおつむが原因だと思っていましたが、実は、「相談的枠組み」がとれていなかったこともある、ということを学びました。教える人と教えられる人が双方合意が取れている時に、教え、教えられることができます。「アドラー心理学がどんなにすてきか伝えたい!」と思っても、相手が「ぜひ教えて下さい」と思っていないと、「こんなすてきなことを教えてくれてありがとう」とはならないわけです。私が、尊敬・信頼・協力・目標の一致を心がけて相手との良い関係を築いていけば、その結果、もしかしたら、相手も私の考え(アドラー心理学ってすてきなのよ)もいいね、と言ってくれるかもしれませんね。アドラー心理学は知っているだけでも、わかっていても実践できない。自助グループで仲間と意見交換しながら練習していくうちにできるようになる、という岡山さんのまとめもあって、10月28日から始まった吉祥寺パセージの初回を再受講しました。毎日の子どもとのやり取りで、何か気になることがあると開くパセージですが、私の場合一番頻度が多いのが1章です。「いつでも子育ての目標に照らして自己点検する」に戻ってきて、さあ、ここからやり直し、と思っています。エピソードを味わうロールプレイでは、「子どもの考えや感情や意思を理解しようとする」練習になっていることを実感しました。また再受講で、一番心に残ったのは、「どこまでもあなたの子どもの味方でいてあげてください。」の一文です。最近、評価する人になったことがあったからかな、と思います。仲間と一緒に学ぶ・考えると、勘違いや誤用に気づけます。いつものことですが、皆さんと一緒に実践がんばろう、と思いました。(byなべ)

自分を勇気づける(9月の定例講座)

今回のテーマは「自分を勇気づける」。勇気くじきのメカニズムを押さえた上で自分を勇気づける方法を学びました。「勇気がないときは、どんなときですか?」楽をしたいときかなぁ。失敗して落ち込んだときかなぁヾ(´ε`;)ゝ…生まれてこのかた、成功した時でさえその中の悪かった点を見つけて「私が悪かったのです。ごめんなさい。もうしません」をしてきました。人は現状が理想通りではないと感じると、行動をおこして現状をなんとかしようとします。現状がとても悪い状態だと感じている時や、「なんとかしよう」としている目標がどうにも達成困難な場合、どんなに行動しても目標が達成できません。まずは、現状の良い面を見て、目標を現実可能なものにして、楽をしたいと思うこと、失敗して落ち込むこと、自己嫌悪の目的は免責・免罪だから、それらをしないで、自分を勇気づけましょう!育児学習プログラム「パセージ」で、勇気づけとは、子どもが心理面の目標である1.私は能力がある、2.人々は私の仲間だ、という信念をもつように援助することだと学びました。そのためには、子どもの長所や良かった点に注目し、子どもを信頼・尊敬し、子どもを理解する必要があることも学びました。これらは自分を勇気づける時にも必要です。講師の岡山さんは、自分を勇気づけるための具体的な方法を提案して下さいました。今日の講座で私は、自分の長所を見つけて、人々のために自分にできることをするように自分を勇気づける→人々のために自分にできることをする→人々に所属できていると感じる=幸福という、シンプルだけどとてもすてきなことを学べました。「勇気づけの方法(アドラー心理学を語る4)」(野田俊作著)に、自分をしっかりと勇気づけられる人こそが、自立した人間として真の協力的な人間関係を作り出すことができる、という件があります。子どもだけでなく、私も一緒に「自立」に向かって成長し、勇気づけできるようになりたいと思います。(byなべ)

嫌われる勇気の誤解(8月定例講座)

8月の定例講座のテーマは『嫌われる勇気の誤解』でした。岸見一郎氏と古賀史健氏共著のベストセラー「嫌われる勇気」、この本について、著者の一人である岸見一郎氏自身も「あなたは『嫌われる勇気』を誤解している-「嫌われてもいい」ではない」というタイトルの文章(https://president.jp/articles/-/22920)を掲載しておられます。タイトルが印象的な分、「アドラー心理学では他人に嫌われても自分の信じるように行動することを勧めている」と受け取る人が多い、ということだと思います。「嫌われる勇気」では哲人と青年の対話が描かれます。青年は自分に自信を持てず、上司の機嫌をとりながら仕事しています。両親に認めてほしくて期待に応えようと努力するけれど、いつも優秀な3歳違いの兄と比べられ、認めてもらえない。そんな青年だからこそ、哲人は「課題の分離」と「個人の主体性」を強調して、アドラー心理学を説明しているそうです。どんな読者を対象とするかで、本の書き方、説明の仕方も変わってくるのでしょう。また、同じ本を読んでも読者によって受け止め方は様々です。「嫌われる勇気」に、青年の就職先を青年の両親が快く思わなかったことを取り上げる場面があります。哲人は、両親の意向は両親の課題であるから青年は『自分の信じる最善の道を選ぶこと』しかできないのだ、と説きます。私としては、自分が親になった今、子どもへの不安や期待は親の課題だから、私がなんとかしましょう、と思うけれど、自分の親が今も子や孫の健康を気遣い家族仲良く暮らせと言うことに対して「あなたの心配はあなたの課題だから」とはならなくて、ありがたく心配してもらっています。このことも「嫌われる勇気」の青年と私の文脈の違いの結果だと思います。講座では、アドラー心理学のゴールには共同体感覚思想があり、課題の分離はそこに至る入口であることを確認し、アドラー心理学の全体像やアドラー心理学の実践へと話がふくらんでいきました。本で知識を学んだだけでは、アドラー心理学の技術を使えるようにはきっとなれないのでしょう。講座やフォローアップに参加して学ぶと、「知識」だけではない何かが自分の中にやってくる気がします。それは時には「得心」だったり「感動」だったり「喜び」だったり様々ですが、共に学ぶ仲間や教えてくれる人とのやりとりの中で生まれるもののようで、アドラー心理学の技術習得に欠かせないものみたい。勇気づけられるって、このことかな、と思うのですテレビやタブレットだけ見せても赤ちゃんはことばを話せるようにならないが、周囲の人々が絶えず話しかけていると言語を獲得できるのと似ているな、と思いました。(byなべ)

声かけだけでは何も変わらない(7月定例講座)

7月の定例講座は「声かけだけでは何も変わらない」。講師の岡山さん含めて11人で学びあいました。パセージの「勇気づけるメッセージ」の言葉を優しく言っても、子どもがムキっとした態度で言い返してくるんです-「子どもはお母さんの言葉よりも、感情に反応するんですよ。」私、パセージを学んでも、「うちの子って、学校でちゃんとやっているのかな~」という不安な気持ちがなかなか消えません。「不安な気持ちを抱えたまま言葉だけポジティブに代えるのは不気味です」そうですよねー。娘も不気味さを感じて過激な反応をしたり、甘えたりするのかも。不安を使っていると、子どもを尊敬・信頼していないから、やっぱり協力できなくて、それを声かけでごまかそうとしても、子どもには筒抜けでウザくてキモい親になってしまうわけですね。不安を使う目的ってなんだろう?「お母さんが心配するから早く家に帰ろう」とか「お母さんが心配するから宿題やろう」と子どもが思うと期待している?つまり子どもを思い通りに操縦したいんだな。だから、仲間の一人が、「もうこの子は大丈夫だって、心から思えるようになったの」と言うのを聞いて、なんて素敵なのだろう、と思いました。心を協力的にしてから話をするためにできることを皆で考えました。私の場合は、1.あたりまえに注目して安心材料を見つける、2.「この子は大丈夫だ」と声に出していってみる(唱えていれば、そのうち「大丈夫だ」と考えられるかも)、3.不安や怒りを使いたくなったら、深呼吸してこの子を抱きしめたときの温かさを思い出す の3つができるかな、と思いました。「真心アドラーを目指して、日々の実践をしていきましょう」はい、毎日がお稽古です。(by なべ)

アドラー心理学は答えを教えてくれない(6月定例講座)

6月の定例講座のテーマは「アドラー心理学は答えを教えてくれない」でした。毎日の子どもとのやりとりで、「この対応で良かったのかな、もっと良いアドラー的な対応があったかな」とか、「あ、また失敗しちゃった」と考えることが多いです。だって、パセージには、「○歳の子どもが△したら、××と言いましょう」というマニュアル的な対処法が書いてないのです。今日学んだことは、人は各々自分の価値観を持っていて、アドラー心理学ではどの価値もすてきと考えるので、絶対的に正しい答えはない。人生にはいつもいくつかの選択肢があって、誰もが自分で選び取ることができる。子どもが自分で人生を選び取れるように援助していきたい。子どもの考えを引き出すようによく話し合い、どの部分で目標の一致がとれるか考えて、目標の一致ができたら、なにを協力するかを話し合い、その結果に基づいて援助するでした。私としては、「正答無し」が驚きでもあり、うんうんやっぱりの感もあり。答えを子どもと一緒に話し合って作り出す、なかなか味わい深い学びです。パセージに、様々な不適切な行動への対処方法をいちいち書いていないのは意地悪ではなかったのですね相手と自分の価値が異なる時、説得したりねじ伏せたりして議論に勝とうとするのではなく、その違いを認め合いながらより良い方法を探していく。仲間のご主人が時々おっしゃるという”Let’s agree to disagree”(お互い違う考えを持っていることについては同意しよう)。とても素敵だと思いました。答えを見つけられるようになるために有効な学習法も教えてもらい、またまたお得な2時間でした。(byなべ)